“I want” / No.003 spanish bar & cafe NEUTRAL 檜尾 信吾
ヒノキオと出会ったのはいつだったろうか。
当時、ヒノキオがボーカルを担当していたバンドと、
ライブハウスで会ったのが先だったか。
それとも、当時、俺が働いていたコールセンターで、
アルバイトとして入ってきたヒノキオに出会ったのが先だったか。
大阪、南森町。
人材育成や研修事業を営む会社が運営するコールセンター事業部。
俺はそこでアルバイトからお世話になり、最終的には正社員になった。
もうずいぶん前のことだけど、8年ほどそこで過ごした。
俺のような青二才の田舎者が、
某大手通信会社の役職付きの方々と施策を進めさせていただたり、
仕事と稼ぎのプロである企画会社の方々と施策を進めさせていただたり。
社会人としての仕事のやり方は、
数々の失敗を通して、あの頃に学ばせてもらったものが多い。
そして、色んな人に出会った。
当時、コールセンターはアルバイトの時給も割とよかったし、
働く時間の融通も効きやすかったので、色んな人が働いていた。
音楽、MC、ダンス、芸人など、色んな活動をされている人がいた。
「多様性」なんて言葉は、あの頃はまだ聞いたことがなかったけれど、
本当に個性的な人たちにたくさん出会った。
何かの磁場だったんでないの?と思うくらい、
キョウレツな個性が集まって、異なりまくっていた。
あの場所は、俺のヒーローアカデミアのようでもあった。
あの頃に出会って、今でも遊び続けている友達もいる。
ヒノキオも、そのひとり。
ヒノキオは、当時、バンド活動をしながら、
コールセンター以外にバーでも働いていた。
たまに都合を合わせては乾杯して、
音楽を聴いたり、馬鹿話をして笑ったり、遊んだ。
ヒノキオがコールセンターを辞めてからは、飲食業に進んでると聞いていた。
再会は、BANDA。
「大阪の福島区にとっても人気のスペインバルがある」と、
当時、スペイン料理に興味を持ち始めていたヒノキオを、
友人が予約してBANDAに連れて行ってくれたのだそう。
そして店に入ると、カウンターのなかでヤマシが働いていた、という。笑
(ヤマシも同じコールセンターで働いていた友達)
縁は、時に不思議な繋がりを持ってきたり、引き合わせたりする。
ヒノキオは志願して、BANDAで働き始めた。
俺も大阪に行ったときは、必ずBANDAに寄っていた。
ヤマシとヒノキオに会いに行く、というのは乾杯の理由として完ペキだった。
その後、姉妹店のBOHEMIAN BOHEMIANを任されたりして、そっちにも遊びに行ったり。
ヒノキオは、個人的な禊のために、
ポルトガルからスペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラまで、
巡礼路をひとりで歩く旅をしたことがある。
その旅からの帰国翌日に、京丹後まで泊まりで遊びに来てくれたこともあったな。
そして、ヒノキオは、次のステップとして、高槻のNEUTRALさんに行った。
大阪での用事のついでにちょっと、みたいな感じで寄れる距離ではなくなっちゃったので、
会う機会は減ってしまった。
でも、たまに連絡を取り合ったりして、
ヒノキオが、薪で炊き上げるパエリアに情熱を注いでいることは聞いていた。
(となりの人間国宝さんにもなったしね)
昨年、日本パエリア連盟さんからの推薦により、
ヒノキオは「WORLD PAELLA DAY CUP」の日本代表として国際大会に出場しました。
このニュースにも、かなりアゲてもらった。
そして、今年。
6月1日に行われた「スエカ国際バレンシアパエリアコンクール」の日本予選において、
ヒノキオとアツシさんのNEUTRALコンビが、見事、優勝の栄冠を手にされました!!!!!!
日本代表として、9月にスペインで行われる世界大会に出場されます。
すごいよ、ヒノキオ。
かっこいいよ。
「諦めなかった奴が掴むのさ」
あの曲の詞が沁みる。
撮影させてもらった日は、日本予選に向けて、最後の練習の日だったそうです。
そんな大切なタイミングにも関わらず、俺を受け入れてくたヒノキオとアツシさんに心からの感謝を。
パエリアが炊き上がる2時間半の間、俺は夢中でカメラを回していました。
そして、食べさせてもらったパエリアは、それはもう、めちゃくちゃに美味しかったです。
おかわりさせてもらいました。
ヒノキオ、アツシさん、本当におめでとうございます。
心からの祝福と、世界大会に向けての激励を送ります!
No.1目指して、めちゃくちゃ楽しんでください!!
また、NEUTRALに遊びに行かせてもらいますね!
2025/06/08 - MOVIE