ヨシキという、同じ丹後出身の同い年の人が、
“ヨット”というバンドでベースを弾いている。
ということは知っていた。
でも、ヨシキとは、学生のとき同じ学校にはならなかったりして、
会って話したりしたことはなかったからどんな人なのかは知らなかった。
時を経て。
邂逅は2017年。
共通の友達が結婚するとき、サプライズで流す映像をつくろうという話に誘われたとき。
その音頭を取ってくれていたのがヨシキだった。
初めましてのときが、どんなだったかを全然憶えていない。
ヨシキが、それくらい自然に接してくれる人だったからだと思う。
例えば、キャンプ。動画。ビール。音楽。
自分が好きなものにとても真っ直ぐで、
その好きなものでとにかくすぐ遊んじゃう人。
俺から見えるヨシキは、そんな人。
ヨシキのそういうところ、とても好きなところ。
先日、オースティンでヨシキと打ち上げした。
ヨシキのこれまでの半生の話、改めてじっくり聞かせてもらったり。
とにかくバンドがやりたくて、楽器もちゃんとやっていなかったのに大阪に出た。
字面を見ても何だかよく分からないこの話が、とてもヨシキらしくておもしろい。
そして俺は、実はちゃんと“Yacht”の音楽を聴いたことがなくて、
この撮影後に初めてちゃんと聴かせてもらったことを伝えました。ワハハ。
オースティンのTVでYouTubeにあるYachtの映像を観たり。
記録されて残っていると、あとでこうやって再生できる。
映像のそんなところが俺は好きです。
お仕事の様子を撮影させてもらって、お仕事の話を聞かせてもらう。
もちろん俺の知らないことばかり。
そんな貴重な話を聞かせてもらうのは、やっぱりとてもおもしろい。
ヨシキ、ありがとう。
2025/05/01 - MOVIE
自分は何が欲しいのだろう。
とても情けない話だけど、いい歳して未だにそんなことを考えたりする。
自分の人生を現在地点から振り返ってみる。
職業においては、生業を絞りきれず、色んな仕事を経験しながらここまで来てしまった。
とは言え、別に後悔などしていないし、もうそれこそが俺なのだと肯定的に受け入れている。
どの仕事もおもしろかった。
色んな仕事で出会った人たちの中には、
仕事を通して「自分」を教えてくれる方がいらっしゃいました。
仕事のやり方や信念や拘りは、技術や技能を通して、その人を表すものだと思った。
世の中、おもしろい人はたくさんいる。
色んな人に、色んな仕事の話を聞いてみたいと思った。
そんな気持ちが、この企画案の種でした。
この企画案を始動しようと思ったとき、まず頭に浮かんだのは、ヨシオと高早だった。
若い頃から、自分の道を見定めて、進み続けてきた友達。
お前みたいな奴が簡単に言うなと言われればぐうの音も出ないけど、
失礼を承知で言わせてもらえるならば、本当に尊敬している。
ふたりとも、歳は俺よりひとつ下だけど、とても尊敬している。
この企画は、ヨシオに音楽を担当してもらいたいと思った。
そして、初回は、高早を撮らせてもらいたいと思った。
そう思って、ふたりに相談させてもらうことから、この企画は始まりました。
高早がドラムを叩いている姿を初めて観たのは、もう20年ほど前になる。
(そのバンドのギターはヨシオでした)
そのドラム捌きにもシビれたけど、高早の人柄に一気に惹かれた。
独自の思考と解釈と価値観で、真理に辿り着いてしまうアナライザー。
前世のどこかでハツリ機だったことがあるんでないかなと俺は思っている。
高早と話していると、とてもおもしろい。
あと、とてもいい声をしてるなといつも思う。
自分のiPhoneのSiriが高早の声にならないかなと思ってる。
俺が言っている意味は、高早楽器技術のYouTubeチャンネルを観てもらえればわかると思う。
どの動画も教養と娯楽が詰まっていてとてもおもしろいので、ぜひご視聴ください!
あれは、高早楽器技術の創成期だったのだろうか。
なんか集合住宅の一室のようなところが工房だったときに、遊びに行かせてもらった記憶がある。
あと、何のときだったか忘れてしまったけど、
高早の実家で、お父さんやお母さんといっしょに晩御飯をご馳走になった記憶もある。
もう長い付き合いだ。
俺とゲンが地元の京丹後に帰ることを決めた頃、
地元のFMたんごさんで「ラジオ蟹式」という番組を始めさせてもらった。
地元に帰っても、友人たちと繋がり続ける理由が欲しくて、企画を持ち込ませてもらった。
友達を毎回招いて、俺とゲンが色んな話を聞かせてもらうという内容。
高早は、定期的に何度も来てくれた。
スタジオにアンプや機材を持ち込んで、
高早のオリジナルエフェクターブランド”TRIAL”を試奏してもらったりした。
設計者である高早自身に説明してもらいながら、色んな音を聴かせてもらうのはとても楽しかった。
番組の内容がネットやSNSを通して聴けたり、拡がるわけでもない。
収録は京丹後で行い、京丹後地域にだけ届く周波数の電波で放送される。
そんな面倒な遊びに付き合ってくれた友達と、FMたんごさんには本当に感謝している。
諸般の事情で番組は3年ほどで終了したが、大変おもしろい経験をさせていただいた。
思えば、俺はあの頃に、高早の喋りのファンになったのだと思う。
なので、数年後、高早のYouTubeチャンネルの動画があの構成で公開され始めた時、とてもうれしかった。
ヨシオがギターを弾いている姿を初めて観たのは、もう20年ほど前になる。
(そのバンドのドラムは高早でした)
まず、その演奏技術に驚いて、心震えて、一発でシビれてしまった。
心地よい残響を伴うクリーンな音色、その佇まい。
紫色や深い青色に近い人だなと思った。
黒いレスポールが妖刀のように見えた。
それ以来、ヨシオのヤバいギタープレイに何度もシビレてきた。
ヨシオとは、もうずいぶん会えてない。
最後に会ったのはいつだろうか。
ヨシオが東京に引っ越す前、大阪九条のお好み焼き屋で乾杯した。
iPhoneの写真アルバムを遡ってみると、あれは2013年のことらしい。
その翌年、自分の結婚式の二次会で、嫁さんといっしょに1曲歌った。
歌ったというか、俺はサプライズで急に振られて、歌わざるを得ない状況。
腹括って、僭越ながらヘタクソな歌を歌わせてもらった。
そのとき、ギターで伴奏してくれたのがヨシオとUNCHAINのまっさんだった。
なんと贅沢な!
強烈な出来事すぎて、あのときのことは今でもハッキリ憶えている。
ヨシオと最後に会ったのは、もうあの夜になってしまうだろうか。
ヨシオは、東京に行ってからも、関わった作品の音源や動画のリリース情報をよく報せてくれた。
俺にとって、それは毎回、とてもうれしい報せだった。
ヨシオが劇伴を担当した映画も、となり町の映画館に観に行った。
いつか、俺もヨシオといっしょに何かつくりたいな、そう思い続けていた。
そして今日、その夢がついに叶う。
ヨシオは、この企画に合わせて、最高の音楽をつくってくれました。
作曲からミックスまで最高のお仕事で応えてくれて、本当に感謝しています。
自分が撮影と編集をした動画に、ヨシオの音楽がたしかに鳴っている。
アガる!シビれる!泣ける!
ひさしぶりに会いたい。そして、打ち上げの乾杯がしたいな。
今回、この企画を制作していくなかで、高早とヨシオは、自分に問いかけや指摘をたくさんくれました。
そのほとんどは、自分の想像力や配慮が不足していたことが原因で、ご迷惑をおかけした部分も多々あった。
その都度、反省して、自分と向き合わせてもらって、この企画と向き合ってきた。
そして、自分だけでは絶対に生まれなかった発想も、高早とヨシオはくれました。
俺の発想だけでは、この企画はこのカタチになっていなかった。
この企画の基盤に、高早とヨシオがしっかりと居てくれる。
そのことが、俺はとてもれしいです。
高早とヨシオにこの企画のことを相談して、本当によかったと思う。
本当の気持ちで当たりに来てくれる友達がいてくれて、ありがたいです。
そしてもうひとり、協力してくれた友達、ヤブ。
ヤブも、昔からずっと音楽と向き合い続けてきた尊敬する友達。
ヤブとはこれまでも色んな制作をいっしょにやらせてもらっているけど、
音のことが全く分かっていない自分に、いつも丁寧に色んなことを教えてくれます。
今回も、企画案の内容を相談したら、ピンマイクの機材選定からアドバイスをしてくれました。
そして、人物の音声部分の音質やバランスは、ヤブが整えてくれています。
いつも親切なサポートをしてくれて、本当に心から感謝しています。
自分が尊敬する大好きな友人たちと、
この新しい企画を始められたことをとてもうれしく思います。
いただいたものは、これからしっかりお返ししていきたいと思う。
人生色々。
色んな人が、色んな考えを持って生きておられる。
そんな人たちの姿を映像で記録したい。
自分がビデオカメラを買ったときの動機。
この企画では「仕事」を入り口にして、それをやりたいなと思う。
この企画を持って、ご縁を頼りに、まずは友人や知人に会いに行ってみたい。
というか、それしかできない。ご縁以外ない。
そして、その先で、また新しいご縁に会えるかな。
そのなかで、自分の中から湧き出てくる、この動機の衝動や欲求が何なのか、
ゆっくり探すことができたらいいなと思います。
2025/04/04 - MOVIE
今回、EGC竹中が連れて行ってくれたルートのあたりは、
有馬四十八滝と総称されるように、とても滝が多いのだそうです。
白石滝で珈琲を淹れる前にも、滑(なめ)滝という滝も見に行きました。
冬季にキンキンに冷えると、ここら一帯の多くの滝が凍って氷瀑となるため、
“六甲アイスガーデン”とも呼ばれるエリアなのだそうです。
今年の冬は、この日までは冷え込みが足らず、今回は氷瀑は見られませんでしたが。
(この数日後から、大寒波がやってきて、自分が暮らす京丹後も大雪でした。
タイミングが少し違えば、氷瀑が見れたかもしれませんね。
そのタイミングで山に入る勇気が自分にはなかったかもですが笑)
そして、次に珈琲を淹れたのは、百間(ひゃっけん)滝の前。
これまた自然造形のおもしろさを感じるステキな滝。
もしここが氷瀑だったら壮観だっただろうなあと想像しました。
YAVZ.COMは、毎回、その場で音を録音して、
採集した音を元にしたりしながら楽曲をつくってくれています。
“音景色の再現”だとヤブ自身も言っていますが、
その”再現”のニュアンスをいつも楽しみにしています。
日によっては、山行の途中で天候が変わったりして、
1本目と2本目の音づくりの印象に変化が出ることもあったり。
自分もその日の山行の時間を共に過ごしていますので、
ヤブのつくった音を聴いて回想する楽しみをもらっています。
同じ状況や時間を共有しているからでしょうか。
ああなるほど、そういう感じねと同調できてしまうような感覚もあり不思議です。
今回の2本は、冬の山の静寂と冷気のなかで、
珈琲の温かさを感じるような描写で、統一感があるように感じています。
竹中が深煎りに焙煎したブラジル産の豆をドリップで。
香ばしく、濃厚な味わい。
この後は、いったん山上に出てから湯槽谷山を経由して、
途中で有馬ロープウェイの駅を目がけて下山しました。
友人のもんげも山を楽しんでくれたようで、
これから毎回いっしょに来たいと言うてくれました。
(翌朝は、筋肉痛で寝床から起きれなかったそうです。
自分も初めはそうでした。笑)
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2025/03/07 - MOVIE
2025年、山と珈琲、1発目。
前回のロケ時、次は冬の裏六甲に氷瀑を見に行けたらいいいね、なんて話してました。
でも、つまりそれは、キンキンに冷えた状態の山であるということ。
以前、七曲滝の氷瀑に連れて行ってもらった時も、
積もった雪が凍ててトゥルットゥルに滑るところも多かったので、
これはちゃんと緊張感を携帯していかないとなと考えていました。
この日の天気予報は、実は1週間ほど前からずっと雨の予報。
今回もロケは延期かなとほとんど諦めていましたが、前日になり急に曇り予報に。
みんなで相談して、行っちゃおうか!と決行することに。勢い大事。
そして、今回、同級生で友達のもんげ(もんくん)が、
山に行ってみたいと言うことで京丹後から同行してくれることに。
もんくんは、バイクで色んなところに旅に行くのを趣味にしています。
職場の丹後プラスティックさんで、
自分にNC彫刻機の使い方を指導してくれる優しい先輩でもあります。
怪我なく、初めての山を楽しんでくれたらいいなと思いました。
今回は有馬温泉側から入山。
こちら側から登るのは初めてのこと。
この日の気温は、予報では最高気温10℃くらいまで上がるとのことで、
この時期にしては比較的高めでラッキー。
しかし、例年に比べると、ここまで少し暖かった印象のこの冬、
氷瀑になっている滝はなさそうだ、とのことでした。
それでも、裏六甲のいくつかの滝を見に行こうということで、
EGC竹中がチョイスしてくれた今回のルート。
前日に雪が降ったとのことで、至るところに積雪が。
沢を流れる水は、さすがにキンキンに冷えていて、
歩きながらどうしても濡れてしまうので、
途中で、気づけば足の指先の感覚がなくなっていました。
さすが冬の山!
今回、山と珈琲の楽曲制作で、初めて沼ったというYAVZ.COM。
いつも、「もう出来たの!?」と驚くスピードで楽曲が上がってくることが多いので、
今回は練りに練った深みのあるサウンドが、冬の山を演出。
寒さより、珈琲を淹れる温かさにフォーカスしたような音作りに癒されます。
店主が焙煎したケニアの豆の浅煎り。
栃の木のククサのカップがいい感じ。
滝も、色んな滝があって、本当におもしろい。
滝だけではなく、山に入ると、言ってしまえばもう全部がおもしろい。
どうやってこんなものができたの!?と思うところばかり。
地球の活動の凄さに触れられます。
悠久の時に思いを馳せることができます。
惑星で生きているんだな、と感じることができます。
EVER GREEN COFFEE Website
2025/02/24 - MOVIE
京都府京丹後市大宮町河辺。
そこで自分は生まれ育ちました。
高校を卒業してこの街を出るまでは、
まだ京丹後市に合併されておらず、京都府中郡大宮町河辺でしたが。
コンストのゲンとは同い年の幼馴染で、同じ河辺地区で育ちました。
ゲンの弟ソウタと、ウチの弟も同い年の幼馴染だったり。
(ウチらの母親同士も幼馴染だったりします。)
ゲンとソウタのご実家が営まれている丹後プラスティックさんも、
同じく河辺に、自分たちが生まれる前からあります。
昨年から自分は、丹プラさんでお世話になり、働かせていただいています。
これまでも色んな仕事を経験させてもらって生きてきて、
ここ10年ほどは調理師がメインの仕事でしたが、製造業は初体験。
先輩たちにご指導をいただきながら、
NC彫刻機の新米オペレーターとして修行の日々を送らせてもらっています。
昨年、代替わりされて、ゲンが代表取締役に就任、新体制に。
そんなシン・丹プラさんが、京都市内のビジネス交流フェアに出展するということで、
ゲン社長から会社紹介のPVをつくってくれないだろうかと相談をもらいました。
もちろんやらせてもらうけど、
コンストの新しいアルバムに収録されている曲 “manufacture” を使わせてほしいとお願いしました。
だって社長、あの歌詞、そのまんま丹プラさんのお仕事の歌じゃないですか!
曲タイトルの “manufacture” だって “製造業” の意。
社員もパートさんも、従業員の皆さま全員にご協力いただき、撮影させてもらいました。
社長は楽曲で、自分は撮影と編集で。一丸の制作。
今回の映像制作にあたり、自分の想像力の原点になったのは、
丹プラさんで働かせてもらい始めた頃、一見してヤラれてしまったUさんの背中。
「背中に何にも書いてないような奴になっちゃあいけないよ」
と書いてあるかのようなこの背中!
師匠!勉強させていただきます!
マジでシビれます。
そう言えば、10年ほど前にゲンに頼まれて、制作させてもらった丹プラさんのロゴ。
月日を経て経て、自分がつくる映像で使うことになるとは思わなかった。
ヒュンヒュンと遠くから風を切る音が徐々に近づいてくるなあと思ったら、
鋭利な形をしたロゴが高速回転しながら飛び込んできて、
「うわあああああ!!!!」となりながら、両手でバチン!と挟んでなんとかキャッチした気分。
ブーメラン型だとは思っていなかった。
まあ、そもそもが、丹プラさんで働かせてもらう未来が自分にあったとは、という話で。
たまたま生まれ育った故郷の土地で、たまたま出会った人たちと、
案や因や運や縁や恩や、有り難い機会や、巡り合わせや、
各々の選択が結果として交錯する俺たちの座標。現在地点。
Z軸だけはマイナス入力してはいけない。
このまま削って削って、進むしかないのだ。
刃が切れ止んでたきたら、もんくん研いで!(自分で研げ)
社員としての契約もしていただきました。
ただ自分は、クラブワークスとして制作の仕事もしたいので、
無理をお願いして有期契約社員として雇用していただきました。
自分のような者を受け入れていただいて、丹プラさんには感謝の気持ちでいっぱいです。
とにかく今はどんどん数を経験させてもらって、
NCでの加工が上達できるよう精進したいと思います。
ご挨拶代わりと言ってはなんですが、自分に出来ることで心ばかりのお返しを。
丹後プラスティックの皆さま、不束者ではございますが、
ご指導ご鞭撻のほど、引き続きよろしくお願い申し上げます。
丹プラさんとクラブワークス、たどり着いた現在の自分のカタチ。
色んな人が、自分に与えてくれたカタチ。
ひとつひとつは小さなものでも、つくることでしか味わえない感動を、
今までの仕事や遊びで蓄積してきたように思う。
形はないけど、それだけが自分のなかで確かなもの。賭けられるもの。
それを信じて反復するのみ。
もうひとつ。あとひとつ。
欲しがり続けていこうと思う。
そして、CONSTRUCTION NINEの1st Full Album “four corners” も絶賛発売中です!
こちらも併せて、どうぞよろしくお願いいたします!
2025/02/11 - MOVIE
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